第6回 ハゲ裁判

 第一章 逮捕

 お昼のニュースです。
 今日午前七時ごろ、北海道警察本部は不当に髪の毛が抜けたことによって周囲に不快感を与えたとして、札幌市に住む四十代の男を迷惑防止条例違反の疑いで現行犯逮捕しました。逮捕されたのは札幌市白石区の団体職員、卯菅泰作(うすげたいさく)容疑者、四十三歳です。調べに対し卯菅容疑者は、「俺は何も悪いことはしていない」と容疑を否認しています。薄毛に対して本条例が適用され、逮捕者が出た事例は初めてのことであり、今後の動向が注目されます。

 このニュースが流れた日の朝、泰作はいつものように近くの公園を走っていた。だいぶ温かくなってきたけれどまだ朝は肌寒いくらいで、ランニングにはぴったりの季節だ。ひと汗かいて、飲み物を買うためコンビニに立ち寄ろうとしたところで、警察官から呼びとめられた。
 「ちょっとあなた、少し髪の毛が薄いですよね。ちょっと署までご同行願えますか」
 「ち、ちょっと待ってくれ! 髪型なんて人の自由じゃないか」
 泰作は警察官の腕を振り払ってその場から逃げようとした。その行動がハゲしく抵抗したと思われたのだろう。次の瞬間、泰作の手首には手錠がはめられていた。
 「午前七時三分、迷惑防止条例違反の疑い、および公務執行妨害で現行犯逮捕する!」

 泰作は道警本部の留置場の中にいた。今ごろ実家の両親や、離れて暮らしている兄妹たちはとても心配していることだろう。しかしスマホは警察官に取り上げられてしまっており、外部の様子を知る術は全くなかった。確かに最近薄毛が進行していたのは事実だった。しかし、中学校の校則じゃあるまいし、頭髪を人にとやかく言われる筋合いはない。ましてや逮捕だなんて。泰作は肩を落としながらため息をついた。やり場のない焦りを胸に、泰作はこれまでの半生を思い返していた。思えば薄毛の進行に気づいたのは五年前のことだった。

 三十八歳のとき、仕事帰りの地下鉄の中で、学生時代の友人と二年ぶりにばったり再会した。彼は泰作の姿を見るなり、
 「久しぶり! なんかダンディ度が増したんじゃないか?」
と、にこやかに声をかけてきた。たまたまその場にいた同じ職場の同僚は、「褒められてよかったですね」と言ってくれたものの、泰作がダンディであるかどうかについては否定も肯定もしなかった。
 「果たして俺は本当にダンディになったのだろうか?」
 二人が下りた地下鉄の車内で泰作は吊り革につかまりながら首を傾げた。少なくとも最近はマラソンもさぼっていて、ジムにもほとんど行っていない。そのため二年前に比べると体はナマっているし、下腹部の周りには「天使の浮き輪」という名の贅肉が増大中であった。ダンディズムの観点からすると美的には劣化したと考えるべきである。もしかすると無精ヒゲが伸びていたせいだろうか?
 今から考えると、単に髪が減っていたことを、あの友人は婉曲的かつ忖度的にダンディと表現したに過ぎなかったのだが、その時の泰作はそれに気づくことができなかった。
 「まあいい、細かいことは気にせず俺はこれから真のダンディを目指そう。そしてダンディ卯菅と呼ばれるようになる。いっそのことワニでも飼ってクロコダイル・ダンディにでもなってやろうか」
 何も知らない泰作が、そんな事を想像しながらニヤニヤしていたとき、地下鉄の中吊り広告が目にとまった。パチンコ屋の新装開店の広告の中で金ピカの派手な格好をしたダンディ坂野が「ゲッツ」と、両手でピストルのようなポーズを作ってこちらを見ていた。

 その年の夏、泰作は数少ない趣味の一つであるソロキャンプにでかけた。もともとソロでのキャンプが好きだったわけではない。以前は交際していた千絵とよく二人でキャンプに行っていたのだけれど、数か月前に突然、千絵の方から居酒屋に呼び出された。
 「泰作さん、私たちしばらく会わない方がいいと思うの」
 ファジーネーブルを片手に千絵は、前触れもなくそう切り出した。なぜか真剣な表情で泰作の頭部を見つめている。いつもの千絵のドルチェ&ガッバーナ…だったかは忘れたが、とにかくなにかの香水の匂いが漂ってきて、泰作の頭皮を優しくくすぐった。何がなんだかわからず、パニックになってしまった泰作はそれから後のことを全く覚えていない。
 その後もSNSで千絵の投稿を目にすることはあったけれど、最近彼女の投稿によく登場する一人の男が気になっていた。その男は髪の毛がフサフサでパーマをかけており、毛先も遊んでいた。まるで森の木の枝にまとわりつく宿木みたいなヘアスタイルのその男が、千絵の新しい彼氏だと判明するまでそう時間はかからなかった。

 そんな昔の切ない出来事を思い浮かべながら、泰作はテントを張るためにしゃがんで無心に地面にペグを打ち込んだ。
 その時である。同じキャンプ場にいた小学校低学年くらいの女の子が「あーハゲ!」と叫んだのだった。子供は正直であるが故に、時に残酷なものだ。
 その言葉を聞いて、泰作は最初自分のことだとはわからなかった。しかし少女がこちらを指さしているのを見て「え! 俺?」と、周りをキョロキョロしながら目を丸くした。
 少女に指摘されるまで全く気づかなかったけれど、急いで車のミラーとスマホを合わせ鏡のようにして確認した時、泰作は雷に打たれたようなショックを受けたのだった。それはあのデロリアンをタイムスリップさせるに十分な1.21ジゴワットをはるかに凌ぐエネルギーであった。
 それからはもうキャンプどころではなかった。せっかくの楽しいソロキャンプも泰作の気持ちの中ではつらい拷問のような時間になってしまったのであった。
 日も暮れてテントの中でシュラフにくるまりながら、する事もなく泰作はスマホを眺めていた。SNSのタイムラインで千絵が新しい彼氏と楽しく過ごす写真を見つけた。なんて幸せそうなんだろう。千絵のくっきりとした二重まぶたがまぶしく見える。その時、泰作の心に一首の短歌が浮かぶのだった。

 迷いつつ 
 イイネ押すのを
 やめておく
 スマホの奥の
 会えない君に


 第二章 送検

 次のニュースです。
 今月五日、 薄毛によって周囲に不快感を与えたことにより迷惑防止条例違反の疑いで札幌市在住の団体職員、卯菅泰作(うすげたいさく)容疑者、四十三歳が逮捕された事件で、警察は今日、卯菅容疑者の身柄を送検しました。警察の発表によりますと、卯菅容疑者は取り調べに対して一貫して黙秘を続けており、今後どのような態度をとるかに世間の注目が集まっています。

 三十九歳のクリスマスイブは一人で過ごした。そのころには薄毛は頭頂部を中心に少しずつ進行してきていた。一人寂しく傾けるシャンパングラスに映った自分の頭を見て、泰作は涙をこらえながら目の前のタンスにグラスを投げつけた。百均で買ったグラスは粉々に割れて、セコマの安いスパークリングワインが部屋中に飛び散った。
 早々に布団に入った泰作は両目を閉じると、サンタクロースに「髪を下さい」とお願いしたのだった。神頼みならぬ、サンタ頼みだ。するとその翌朝、枕元にはたくさんの髪の毛が落ちていた。
 「抜けただけじゃねぇか!」
 枕についた髪の毛を払い落とし、泰作は半ばヤケクソな気持ちで勢いよく起きあがった。パジャマ姿のままアパートの外に出て、車に飛び乗ると荒々しくエンジンをかけた。向かった先は札幌の東側にある由仁町という町だった。
 由仁町には馬追(まおい)丘陵という連なった低山があって山頂からは広大な石狩平野を望むことができる。その馬追丘陵に端を発する一本の小さな川が泰作の目的の場所だった。石狩川水系の夕張川に流れ込む、その小さな川はヤリキレナイ川と呼ばれていて、世の中のやり切れない人たちが訪れる聖地となっている…かどうかはわからないが、泰作はどうしてもこの川を訪れずにはいられなかった。誰もいない、真冬の川に飛び込んで凍えながら、泰作は自らの不運を責めた。
 「エゾリスやキタキツネでさえ冬になると毛が生え変わるのになんで俺は生えないんだ」
 ヤリキレナイ思いを胸に、泰作の心には一つの詩が浮かぶのだった。

 僕の前に髪はない
 僕の後に髪は抜ける
 ああ、サプリよ
 イワシよ
 僕を薬局に通わせた高価なリアップよ
 僕から髪を奪わないで守る事をせよ
 常に毛根の気魄を僕に充たせよ
 この遠い育毛のため
 この遠い育毛のため


 第三章 勾留

 六時のニュースです。
 今月五日、薄毛による迷惑防止条例違反で札幌市在住の卯菅泰作(うすげたいさく)容疑者が逮捕された事件で、勾留中の卯菅容疑者の犯した行為については様々な意見が飛び交っています。ここからは金谷記者に伝えてもらいます。

 えー、私はいま、高知県四万十市にあるJR四国の半家(はげ)駅に来ております。今回の卯菅容疑者の逮捕によって、薄毛が刑罰に値する罪なのかという点に大きな注目が集まっています。ここ半家駅で一般市民の方にインタビューした限りでは、卯菅容疑者を擁護する意見が大多数を占めておりまして、一連の報道との大きなギャップを感じます。それでは街頭インタビューの様子をご覧下さい。

 「ハゲで悩むなんて不毛だよ」
 「生えねぇ豚はハゲた豚だ」
 「毛もふたもない事件だね。脱毛を責めるなら発毛を待て」
 「ハゲて来たって? よかったね! 新たな育毛という趣味が増えたじゃない」
 「頭髪が抜けるとそれはハゲだった」
 「整髪なんて時間の無駄さ。ハゲは貴重な時間の節約になる」
 以上、現場から金谷がお伝えしました。

 四十歳の誕生日が近づいた頃、泰作はそろそろ運転免許の更新の時期だと気づいた。運転免許は三年前に更新したばかりなのにもう更新の時期だ。なぜ三年ごとなのかというと理由はただ一つ、無事故無違反ではないからだ。泰作は普段から安全運転には気をつけている、自称、優良ドライバーであったが、たまたまスピードが出てしまったときに限ってパトカーがいつもその場にいたのだ。
 二時間の違反者講習をうけて、更新された免許証に写った顔写真は三年前と比較しても明らかに頭髪が少なくなっている。心なしか人相も暗く見えた。そんな泰作の心にはまた一首の短歌が浮かんでくるのだった。

 試験場
 更新手続き
 顔写真
 免許も心も
 ブルーなりけり


 第四章 起訴

 ただいま入ってきたニュースです。
 薄毛によって周囲に不快感を与え、迷惑防止条例違反の疑いで札幌市の四十代の男性が逮捕された事件で、札幌地方検察庁は今日、卯菅泰作(うすげたいさく)容疑者を起訴しました。卯菅被告は当初、容疑を否認していましたが検察の取り調べに対し、「仕事のストレスでつい髪が抜けてしまった」と一部犯行を認める供述もしており、今後の裁判の行方が注目されます。
 マスコミが取り囲む中、卯菅被告が拘置所に移送されます。現場から金谷記者に伝えてもらいます。

 えー、こちらではただ今、卯菅被告が警察官に両脇を抱えられた状態で留置場から出てきました。現場周辺は騒然としています。混乱しています。マスコミ関係者の怒号も響いています。現場には被告の髪でしょうか、細長いものが飛び散っており、凄惨(せいさん)な様相を呈しております。一方、群衆からは時折被告をハゲますかのような声も聴こえております。
 以上、現場から金谷がお伝えしました。

 この時、集まっていた群衆のなかに一人の女性の姿があったことに泰作は気づかなかった。マスコミ関係者が誰もいなくなったあと、その女性は寂しそうな表情でその場を去っていった。

 四十一歳の秋、泰作は以前の職場で一緒だった先輩と居酒屋で日本酒を飲んでいた。そのころ、髪の毛は頭頂部のみならず、おでこの生え際も後退しはじめていた。泰作の飲んでいる日本酒はもちろん、北海道の増毛(ましけ)町にある国稀(くにまれ)酒造の酒である。泰作は何度も増毛を訪れ、わざわざ増毛の山にも登って願掛けをしたほどだった。
 一緒に飲んでいる先輩は木田と言い、年齢的には泰作の三つほど上だったが、三十歳過ぎにはすでに薄毛を通り越してハゲている状態であった。それなのにハゲであることを全く気にする素振りもなく、人柄は温厚で細かい事にこだわらず、悟りを開いたブッダのような人格であったため、苗字の「木田」をもじって、周囲からは「キッダ」と呼ばれていた。ちなみに、木田は自らのことを「アータマ・ツルッツールダ」と名乗っていたが、それはもちろん、ブッダの本名「ガウタマ・シッダールタ」から来たものに他ならない。
 そんな木田は女性にも人気があり、なんと二回も結婚したのであった。
 木田は薄毛に悩んでいる泰作に対して、
 「まだ悟りは遠いな」
と、おちょこを傾けながら笑った。
 「世の中には髪がある人も、髪がない人もいない。髪があると思う人と、髪がないと思う人がいるだけだ」
 木田はさらに続けた。
 「いいか、ハゲてきたからこそハツラツと生きるべきだ。ハゲて鬱になっていたら意味がないじゃないか。リアップでもイワシでも何でも試すがいいさ。結果がどうあれ、その努力が人間を大きくするんだ」
 木田は穏やかな面持ちでそう言った。ハゲであることを気にせず自然体で生きる。こんな人が近くにいた事が泰作にとって大きな支えとなったのは言うまでもない。
 それからというもの、泰作は気持ちを前向きに持って、真剣に育毛に取り組むことにしたのだった。最近サボりがちだった、毛髪にいいと言われるイワシの缶詰を毎日食べることにした。
 「周りに何と言われてもいい。言いたいやつにはイワシておけ。俺はそれでもイワシを食うのだ」

 泰作はその後も食生活の改善と禁酒の努力を続けていた。しかしながら、その年の十二月、職場の忘年会で対面に座った事務の女の子が結構タイプであったため、その甘いボイスにほだされて、ついついビールを飲みすぎるという意志【薄】弱じゃくぶりを発揮してしまった。さらに【薄】野(ススキノ)で三次会のカラオケまで行って騒いでしまい、軽|けい【薄】さを露呈することになった。【薄】々気づいてはいたものの、こんな生活をしていては【薄】毛解消はできない。来年こそは浅【薄】な自分を見つめなおして、堅実な一年にしよう。というわけで泰作のその年の「今年の漢字」は【薄】になった。

 拘置所の部屋でそんなたわいもないことを思い出していたときだった。
 「おい、面会だぞ」
 泰作に向かって刑務官が言った。誰だろう、と思いながら面会室に行くと、ガラス越しには二年ぶりに見る懐かしい顔があった。
 「木田さん!」
 泣きそうになりながら思わず泰作はガラス窓にかけよった。
 「そういえば、木田さんはハゲているのに、なぜ逮捕されないのだろう?」
 泰作はふと思ったが、おそらく完全にハゲていると罪には問われないのだろう。泰作のように中途半端にハゲているのが最も一般大衆に不快感を与えてしまうのだ。
 「ハゲを馬鹿にするやつは、髪はフサフサかもしれないが、心はハゲてるんだ」
 木田は真剣なまなざしでそう言った。
「ハゲはいいぞー。出家してないのに出家した気分になれる」
 木田はさらに続けた。
「ハゲを極めれば様々なことができるようになる。何でもできるわけではないが、昨日の自分より確実に強い自分になれる」
 ハゲを操るためにはいくつかの型があるらしい。そのためには修行が必要とのことだが、木田はその型を特別に教えてくれた。

 壱ノ型: 抜け毛のわななき
 弐ノ型: 怒髪衝天
 参ノ型: 毛髪舞い
 肆ノ型: 薄毛のうねり
 伍ノ型: 脳天砂漠
 陸ノ型: ねじれ旋毛
 漆ノ型: 微風・河童風
 捌ノ型: 生際猛退
 玖ノ型: 留萌本線増毛駅・廃駅
 拾ノ型: 脱毛流転

 「これらのうち一つでも体得したならば、ハゲを味方につけることができる」
 今までみたこともないまじめな顔で木田は言った。この木田こそが大正時代、世にはびこる薄毛への偏見と闘った「メッキの刃」を継承する、「ハゲ柱」の末裔、という事実は、この時の泰作には知る由もなかった。
 別れ際、木田は最後に泰作に一枚のメモを渡した。そこには、こう書かれていた。  「我が地平、既に耀々(ようよう)と拓(ひら)けたり。一毛の不安無し。君も早く自らの地平に辿り着かん事を願ふのみ」


 第五章 公判

 次のニュースです。
 先月五日、札幌市の路上で不当に髪が抜け迷惑防止条例違反の罪で逮捕・起訴された卯菅泰作(うすげたいさく)被告の裁判の初公判が今日、札幌地裁で開かれました。罪状認否で卯菅被告は、薄毛は徐々に改善傾向である、と起訴内容を否認しました。それに対し検察側は「見た目からして毛が抜けているのは明らかで、極めて悪質である」として、被告に対し死刑を求刑しました。さらに元衆議院議員の豊多真里子氏は検察側の証言台に立ち、「ハゲは生きている価値がない」とダメ押しの陳述を行いました。
 これに対し弁護側は、「被告は髪は抜けたものの悪意はなく、育毛の努力も地道に続けている。せめて無期懲役、発毛猶予五年にしてやってくれないか」と反論しました。卯菅被告は弁護人を通じ、「薄毛の人間にだって人権はあるんだ…。人生の中で髪の毛の優先順位ってそれほど高いか? ほんの少しの、何グラムにも満たない髪の毛が抜けたくらいで、人生をあきらめてたまるか」と涙ながらに心中を語っています。卯菅被告の判決は来月下される予定となっています。それでは街頭インタビューの模様をご覧ください。

 「条例違反で死刑なんて聞いたことがない。極刑は反対ですよ。だって税金の無駄使いですよね」
 「発毛猶予? 猶予なしの罰金刑がいいと思います。迷惑料として市民に還元して欲しいですね。ばらまかれるなら抜け毛じゃなくて紙のお金がいいでしょ? うふふ」

 この日、公判の傍聴席の片隅にふたたび一人の女性の姿があった。泰作が拘置所に移送されたとき、道警の留置場の前にいたあの女性だ。泰作に対して死刑が求刑された瞬間、彼女は目に涙を浮かべていた。ハンカチで顔を覆ってうつむいたまま、裁判が終わるまで顔を上げることはなかった。

 確かに泰作は地道に育毛を続けていた。四十二歳になったころには、効率を考えてイワシの缶詰からEPAの含まれるサプリに変更し、さらにフィナステリドの内服も開始した。フィナステリドとは男性ホルモンの生成を抑えることにより発毛を促す、いわば守りの要だ。今まで内服していたノコギリヤシに代わって彗星のごとく現れたこのフィナステリドが加わったことにより、リアップ、EPA、フィナステリドによる「育毛三銃士」が完成したのだ。そしてもちろんダルタニャンは泰作である。このとき泰作はこの三銃士ともに世を捨て新たな育毛の旅に出ることを決意したのだった。その結果、少しずつ発毛も実感できるようになってきたというのに、まさか、一年後に逮捕・起訴されてしまうことになろうとは…。


 第六章 騒動

 特集です。
 先月の初公判で死刑を求刑をされた卯菅泰作(うすげたいさく)被告の刑事裁判の判決を明日に控え、ネットやSNS上ではさまざまな意見が飛び交い、炎上騒ぎの状態となっております。この裁判の結果が全国の薄毛市民の運命を左右するということもあり、まさに日本国民全員、いや世界中が注目している訴訟と言えるでしょう。ここからは金谷さんに伝えてもらいます。

 えー、私はいま、京都市の嵯峨にあります御髪(みかみ)神社に来ております。ここでは先ほどから参拝者が絶えず訪れており長蛇の列となっております。神社への参拝はすでに五時間待ちの状態となっており、明日の判決への注目の高さが感じ取れます。参拝者の方にお話しを聞きました。それではこちらの映像をご覧ください。

 「ボーっとハゲてんじゃねえよ!」
 「ハゲの遺伝子を地球上から撲滅してくれ」
 「キラキラネームが流行ってもキラキラ頭は流行らねぇよ」
 「見ろ、人が抜け毛のようだ! バルス! 毛がぁ! 毛がぁ!」
 「抜け毛は根性が足りないせいだよね」
 「趣味は育毛、特技は脱毛です」
 「住むところがなくて、アタマジラミがかわいそう」
 「髪が抜けてもひとり」

 えー、このように、卯菅被告の罪を責める意見が見られる一方で、逆に被告を応援する方々も多くいらっしゃいます。

 「どんなに暗くても、ハゲは輝いている。」
 「ハゲという用語を日本語から撤廃し、後天性毛髪欠損症と呼ぶべきだ」
 「たとえ明日髪が無くなるとしても、今日私はリアップをつけるだろう」
 「頭にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは髪だと誰もが答えるだろう。しかし実際には毛根なのだ」
 「抜けたら増やし返す。倍返しだ!」
 「毛生え薬よりハゲる薬の方が高く売れてもいい。なぜならハゲることで人は人として大きく成長できるからだ」
 「髪はゼロにはなってもマイナスにはならない」
 「最後まで…希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了だよ」
 「ありのままの 姿みせるのよ 風よふけ」

 明日の判決を前に、渋谷では有名なアーティストが路上ライブを行い、卯菅被告の無罪を訴えるパフォーマンスを行いました。

 ♪ 変わり続ける 頭皮の片隅で
 ♪ 髪のかけらが 生まれてくる oh 今にも


 現場からは以上です。


 第七章 判決

 緊急ニュースです。
 薄毛による迷惑防止条例違反の罪で起訴されている卯菅泰作(うすげたいさく)被告の裁判の二回目の公判が今日、札幌地裁で開かれました。札幌地裁の桂蕪郎(かつらかぶろう)裁判長は検察側の死刑の求刑に対し、一転して無罪の判決を言い渡しました。  判決文の中で裁判長は「被告人はすでに脱毛のコンプレックスとたたかい、死刑に相当する苦しみを味わっている。社会はハゲを排除するのではなくむしろ擁護すべきだ」と述べ、現在の世の中のあり方を強く非難しました。さらに卯菅被告に対し「これからは育毛剤の濫用はひかえ、もっと有意義にお金を使うように」と忠告しました。 判決と同時に、裁判所の外では傍聴席に入れなかった約一万人の市民たちが歓喜の渦に包まれました。
 検察側はこの判決を受け、「裁判長のお話を聞いて目が覚めました。薄毛の人は見た目だけで軽蔑され自信を失いがちだ。多様性が重要視されるこれからの時代において、ハゲは素晴らしい個性であることを再認識し、社会全体でこの差別問題に取り組んでいく必要がある」と述べ、控訴を行わない方針を固めました。これにより卯菅被告の無罪が確定しました。
 無罪となった卯菅氏は記者会見に臨み、「髪が抜けたことによって生活習慣を見直し、より健康になることができた。ハゲることは人間として何倍も成長できるチャンス」と語りました。

 その日の夕方、裁判所を出て、家路についた泰作は自宅アパートの路地裏に立つ一人の女性に気づいた。五年ぶりに会う千絵の姿だった。
 「泰作さん、私、やっぱりあなたが好き」
 ぎこちない足取りで泰作は千絵に歩み寄ると、ゆっくりと彼女を抱きしめた。

 第八章 エピローグ

 最後のニュースです。
 薄毛の是非をめぐる刑事裁判で無罪判決となった卯菅泰作(うすげたいさく)氏の一連の報道を受け、今日、岸部総理大臣が緊急記者会見を行いました。岸部総理は、「感動しました。来年の通常国会でハゲ保護法案を国会に提出します。さらに卯菅さんに国民栄誉賞を贈ることを閣議決定しました」と述べました。
 多くの人に夢を与えた卯菅氏への国民栄誉賞の授与式は来月二十日に行われます。

(了)

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北野とほ (Kitano Toho)
自作小説&エッセイを勝手に不定期連載してます。
雪国在住です。野山を歩くのが好きです。

  

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